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第16回 (続)ネットセキュリティ専門家の暴走
 

 

◎逮捕!

  前回、「ネットセキュリティ専門家の暴走」という内容を書かせていただきました。2004年1月4日の朝日新聞の朝刊の記事の話でしたが、それからちょうど1か月後の2月4日、くだんの「office」と名乗る「ハッカー」は逮捕されました。

  逮捕された「office」氏の本名は河合一穂。京都大学の知的財産関係の研究員でした。彼はまた現在の文化庁長官の甥であった、という尾ひれまでつきました。肝心の容疑は「威力業務妨害」と「不正アクセス禁止法違反」の2つ、ということでした。

◎各所での反応

  この逮捕はネット上のいろいろな掲示板、メイリングリストなどで大きな話題になっただけではなく、テレビなどのマスコミも、本人が逮捕される様子などを、かなり細かく報道していたので、まだご記憶の方も多いと思います。

  ネット上の議論の中では、「なにも逮捕するほどのことじゃない」「サイトの脆弱性を知らせた善意の人間になにをするのか!」という意見もあるにはありましたが、やはり大方の見方は「河合容疑者のしたことは常識を外れている」というものでした。

◎ネットは普通の空間になった

  テレビなどの一般マスコミでのこの件の扱いを見るにつけ、いよいよインターネットやITといったものは、「あたりまえ」のものになったのだな、ということを強く感じました。つまり、「サイバー空間」などということばが、いまや死語になり、インターネットというところも普通の場所の1つになった、ということを感じたのです。

  普通の場所である以上、普通の法律や常識がいちばん大切なのであって、ネットだから、という「特殊事情」はもうありません。特殊事情がない以上、「それがネット上のことだから」と言って特権を持つ人もいません。かつてインターネットがまだ始まったばかりであったころは、もちろん、そこには「特権」を持つ人がいました。また、その特権は必要に応じて与えられて、多くのネットを使用する人に認知されていたものです。さらにその「特権」の多くはネットを実際に使えるようにするためにも必要なものでしたから、その多くを技術者が持つことになりました。

  しかし、ネットが普通の空間になった今でも、まだその特権に未練のある人もいるのです。そして、河合容疑者はその一人であったのではないか?と私は思います。私もまたインターネットの黎明期に、その仕事をいくつかした身ですから、そのときの特権を持った「快感」がよくわかります。ということは、それを失ったとわかったときの「つまらなさ」もまた、よく理解できます。おそらく、ここに河合容疑者の暴走の「種」の1つがころがっていたのではないか、と、私は思います。

◎常識と法律

  インターネットが普通の空間になった以上、一般常識というものがとても大切になっています。法律も、もともとは常識をベースにして書かれたものですから、これには従う義務があります。また、法律に書かれていないことは、もちろん一般社会の常識の判断がものを言います。常識から著しく外れた行為は、「罪」となり「罰」を受けることになります。河合容疑者は「それ」をしてしまったのです。

◎「IT時代」の終焉

  「IT」ということばは、もともと「(データ)通信」「コンピュータ」の2つの分野が1つになったものでした。つまり、もともとは2つのものだったのですが、インターネットの出現により、この2つを1つのものとして認識する必要が出てきたため、「IT(情報技術)」ということばが作られたのです。

  コンピュータもインターネットも出現したときは、みな驚きました。これをベースに新しい産業が興ることを誰もが予想しました。そして、投資も集まりました。しかし、このことばができたとき、コンピュータも通信も専門家だけのものではなくなったのだと思います。
  しかし、そうは言ってもいまだに、専門家としての特権を手放そうとしない人たちも、数多くいます。そして、そういう人たちは一般の社会と摩擦を起こすことがあるのです。 簡単に言えば「IT」ということばができたとき、「IT」という専門の分野は、水道や電気のような「当たり前」になった、ということです。

  「インターネット」を使いこなすこと。それは、いまや当たり前な「読み書きそろばん」の次元になった、といえます。そして、ここまでの変化があまりにも急激であったため、その流れに乗れずに落ちこぼれた「古い時代の専門家」が、社会と摩擦を起こした事件。それが今回の事件のように思えて、私はならないのです。何事も、使っていることを意識させないほどになれば「普及した」と言えるわけですから。