●CDが売れないわけ
日本音楽著作権協会(JASRAC)という団体があります。この団体では、CDなどの音楽出版物の著作権をその著作者から委託されて一括して管理し、その管理収入を得ています。また、それと同時に、音楽著作物のコピーなどの違法性を訴え、不法なコピーをしないように、ということを呼びかけています。
この団体でも毎年CDなどの売り上げを調べていますが、CDなどの音楽著作物の売り上げは、ここ10年来、毎年かなりの落ち込みを見せています。その原因のほとんどが、コピーによるものである、という意見が開陳されています。これは、昨年、一昨年と、P2Pソフトウエアがインターネット上でかなり普及し、その影響である、と同団体は言っています。
しかしながら、なにもCDに限らず、この不況の中、不要不急のものは売れなくなってきています。さらに、それがP2Pなどの手軽な手段で、インターネットに常時接続された高速な回線から流れ込んでくるとすれば、違法だとはわかっていても、やはりついつい手が出てしまう、ということが多いようです。
●音楽の価値
考えてみればCDなどで買う音楽とは「音楽のまがいもの」です。音楽は、そのほとんどが人間の演奏によるものなので、本当の音楽を聴く手段のうち、最高のものは「ライブ」です。しかしながら、いつもいつもライブを聞いていると、お金が持ちません。
ですから、私たちは「仕方なく」ライブに通う回数を減らし、あるいはライブをあきらめて、CDなどの手段で音楽を「買う」のです。
私たちは、音楽の「偽物」を買っている、と言ってもよいでしょう。ルノアールの名画を手元に置いておくには、とんでもないお金がかかります。ですから、複製画を飾る。これと似ているといってよいでしょう。
●価値のあるものと無いもの
私は10年以上前から「インターネットとは、人間社会の時間の進み具合を促進する触媒のようなものだ」と言っていました。また、「インターネットという道具は価値のあるものを一層価値あるものにして、価値のないものは一層価値をなくすようにする」ということも言っていました。
人間の社会というのは、人間一人で成り立っているわけではなく、さまざまな人のコミュニケーションで成り立っています。というよりも、人間の社会というものの本質が人間どうしのコミュニケーションそのものです。
そしてそのコミュニケーションを、遠隔地と近隣地のわけ隔てなく、無料に近いと思える値段で、世界中にあまねく行き渡らせた道具こそがインターネットです。価値というものは相対的なもので、いつでも変化します。そして、この価値はコミュニケーション=社会によって影響を大きく受けるのです。
今日価値のあるものが、来年は価値がない、というようなことを、インターネットは「今日価値のあるものが、明日は価値がない」というようにしてしまう。そういうものなのです。
●変化のスピードと価値
インターネットという「触媒」は、ものごとの価値の変化のスピードを劇的に速くしました。また、ドラスティックにその「価値」をあるものとないものに、アッという間に隔ててしまう。ですから、古い権威、というようなものは存在しようにもできなくなります。
P2Pなどのソフトウエアの存在もあり、著作権など、いまやあって無きがごときものになっていますが、それ以前の問題として、それに本当に価値があったのかどうか?ということも、大きく問題にされます。
音楽も「無料に思えるくらいの音楽」と、「お金を払ってでも聴きたい音楽」があるはずです。これらを一律に扱おう、ということが、既に時代の要請として無理があるのではないでしょうか?時代の動きがあまりにも速く、それが止められない以上、「流れに抗する」ことを考えるのではなく「流れにどう乗るか」を考えないと、流されてしまう。今はそういう世の中ではないでしょうか。
既に、米国のApple社は音楽の配信を有料で行うサイトiTunesを開設し、大変な売り上げを上げています。一方、米国の音楽や映画の著作権を管理する団体は、著作権法違反者を大量に訴えています。どちらの動きも迅速で、かつ意味のある動きです。この両方があるからこそ、米国という国に、みな信頼を置くのです。
結局、自分がほしいと思うものには、消費者はちゃんとそれ相応の対価を払うものです。「お客様」である消費者をきちんと見なければ、答えは見つかりません。
日本の音楽産業に、すでに愛想をつかして「自分はJASRACに登録しない」と宣言したミュージシャンも多く出てきました。流れを見つめて、流れに乗り、自分自身も変化していくことこそが、インターネット時代の処世です。もっとはっきり言えば「永遠にうまくいくワンパターンの商売」はもうない、ということです。
あなたは「変化」していますか?
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