●メール中心に使われる携帯電話
最近、私の携帯電話から他社の携帯電話にメールをすると、なんと1時間くらいしてから先方に着く、ということが多くなりました。しかし、パソコンからプロバイダ経由でメールを送ると、私の携帯電話には、メールがすぐに届きます。おそらく、先方の会社のメールのゲートウェイ(中継をしているところ)の混雑が原因であろうと思われます。そして、メールの使用量が、ここしばらくでさらに多くなってきていることから、こういうことが起きているのだと思います。特に、メールなどの「使い放題」という新たなサービスが、さらにメールのトラフィックの劇的な増加を促しているのではないでしょうか。
●結局はメールを使う
携帯電話とは言っても、最近は電話を音声でする機会が非常に減りました。まず、音声の通話はお金がかる。そしてメールだと、相手が好きなときに見る、ということができるので、相手忙しい人であれば、なおさら、メールを使うように心がけたりします。電話は相手の時間を奪うけれども、メールは相手の空いている時間に見てもらえる。そういう感覚もないではありません。
そして、最近の携帯電話会社の「定額」サービスは、メールなどが対象で、音声は含まれないことが多いのです。つまり、多くの人とコミュニケーションを取る機会のある人にとっては、メールのほうが断然安くすみます。そう、結局はメールを使う、のです。
●災害時にはメールが使えなくなる
ところで、最近は東京も地震で揺れることが多くなりました。そろそろ大災害のことも考える必要がある、と、多くの人が考え始めました。基本的に、携帯電話は、こういう災害の場合は「発信規制」という規制をかけてしまい、音声の通話はほとんど通じません。しかし、1つ前の世代の携帯電話では、音声は発信規制されるのですが、メールなどの「パケット通信」は、よほどのことがない限り規制されていませんでした。
また、物理的な回線も、パケット通信と音声は別でした。しかし、新世代の携帯電話では、パケット通信に乗せて音声もやりとりされるので、規制を行うと、メールも届かなくなります。
●阪神大震災の教訓
阪神大震災が起こったのは、1995年です。このときは携帯電話はありましたが、携帯のメールはまだなかった状態です。携帯電話といえば音声、という時代でした。携帯電話のメールの普及は1999年から2000年だったからです。つまり、今度、同じような災害が起こるとすれば、おそらく「携帯のメール」が、非常に大きな役割を持つことは必至といって良いと考えられます。
また、1995年当時のあの震災は、被害の大きかった場所は局所的であり、その周りは結構大丈夫なところが多かったため、通信ということで言うと、携帯電話が活躍する場面が多かったと思います。ということは、もし東京に震災が起きた場合は、携帯電話の通信はメールを含めてすべてダメ、ということなど、非常に多いな問題を抱えることになります。
●自己責任の世界
災害が起きたとき、携帯電話は役に立ちません。システムの変更により、巨大電話会社であっても、以前は非常時に使えたメールも使えなくなっているのです。
時代とともに、そういうものの整備はされている、という幻想は捨てざるを得ません。今回の米国のハリケーンによる大洪水も、行政はその危険を知りながら放置していた、ということが次第に明らかになってきています。災害のような「もしも」のことも考えて、私たちは普段から行政に税金を払っているはずです。少なくとも、心のどこかでそう信じています。しかし、現実はやはり「自衛」しかないのではないでしょうか?
そして、昨年流行った「自己責任」ということばは、何も戦争中のイラクにボランティアに行った人たちだけに適用されるわけではなく、私たち自身にも適用されることになったのだと思います。つまり、これが「小さな政府」の代償であろうと思います。
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