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第46回 旧世代と新世代
 

 

●変化の速度

  カメラの世界を見ていると、その変化の速度は、大変にはやい。ここ100年でできたカメラの歴史がデジタルに塗り変わるのに3年しかかからなかった、というのは、カメラ量販大手の「カメラのキタムラ」の社長の言だ。

●新技術

  カメラの世界では、たとえば、自動機構として「AE(Automatic Exposure)」という、光の多さ=露出を自動で検出して、シャッター速度や絞りの値を自動で変化させる、という機構がまず「自動化」の最初にできた。そのとき、年寄りは言ったものだ「露出くらい自分で設定できないでどうする」。

  やがてAEも当たり前になったそのとき、今度は「AF(Automatic Focus)」という、フォーカス(ピントあわせ)を自動で行う機構ができた。このときも年寄りは言った「AFなんて使うのは、カメラをよく知らないやつに決まってる」。

  そして、カメラの自動化の最後は「ブレ補正」だった。つまり、いくら露出が正確で、ピントもぴったりあっていたとしても、ちょっと暗いところで写真を撮ると、シャッタースピードが遅くなり、手でカメラを持って撮影すると、カメラを持つ手が微妙に震えて、「ブレ」てしまう。
  写真は結果として「ピンぼけ」のような写真になってしまう。これを補正する機構だ。カメラメーカー各社とも、この方式にはさまざまな方式がある。ブレが生じると、その反対方向に、レンズが動くもの。それから、撮像素子のほうが動くものもある。

  そして古い人はやっぱり同じように言っている。「手持ちでブレができる、なんてのは、修業が足りない証拠だ」と。しかし、その「先輩は」AEもAFも当たり前のように使っていたりする。

●カメラの誕生

 もともと、カメラ自身が絵を描くことの代わりとして生まれた。そのとき、「いくら写真が正確だといっても、絵のほうが味があっていい」という人もいたんじゃないかな?

●3つの武器

  いま、カメラはAE、AF、手振れ補正、という3つの武器を手に入れた。なにも考えずに写したい対象にカメラをむければ、非常に高い確率で確実に写真が撮れる。もう不自由な古い道具は使いたくない。

●自動化技術がもたらしたもの

  「旧世代」では技術の習得を必要とするような「職人芸」がなくても良いように、新しいもは作られる。そのとき、旧世代の持つ「技術」は必要なくなる。「技術」に誇りを持っている人はその誇りを失う。「自動化」の技術の歴史というのは、要するにそういうものだ。しかし、悪いことばかりではない。

  新しい世代はそういった「自動化されたもの」があって当たり前、というところがスタートラインになる。だから、自動化が切れたときは職人芸がないから、万事休すになるけれども、その自動化機構がはたらいている限り、新しい世代の人間は余計なことを考えずに、もっと高度なことを考えることができる。
  写真であれば、露出もピントも手ぶれも気にせず「この構図でこんなものを撮りたい」ということに集中できるようになる。

●良いモノを作るということ

  「技術者は自分の技術に誇りを持て」とか「匠の時代」とかいう言い方で、「モノを作る人」を、日本ではみんな持ち上げてきた。要するに製造業で食ってきた社会だから、モノを作る、ってことができる人は偉く見えた。でも、その人が良いものを作れば作るほど、その人の技術は必要なくなってくる。それは技術者の仕事が完璧である証拠だ。

  技術者を志す人には、それをちゃんとわかっていて欲しい。自分の仕事がちゃんとしている、と言う証拠は結局「自分の仕事をなくすこと」そのものだ。そうして技術の世の中は変わって行く。だから、モノを作る仕事をする人は、常に新しい世界を求めて、勉強しないといけない。今自分が持っているものが陳腐になっても、すぐに次の目標を定められるようになっていなければならない。つまり先見性と柔軟性が必要なのだ。

  でも、生きている、って、結局そういうことなんじゃないかな?

 

 
     
   
  ※ここでは、このコラムの著者三田典玄氏が撮影された写真の中から、著者選りすぐりの作品を毎回数点ずつ掲載しています。  
 


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