●デジカメの世界
ここ半年くらいで、アマチュアながら、私が自分であれこれとデジカメで撮っていた写真が、1万枚を超えました。休みとか旅行の最中にかなり撮っていても、普段の日は仕事もあって、なかなか撮れないことが多いので、撮れるときに集中してとりまくる、ということになります。1枚あたり約4MBくらいの画像になっているので、40GBくらいの容量を使ったことになります。
また、デジカメの画像は「レタッチ」がソフトウエアでできるので、色を変えたりコントラストの調整をすると、調整前と後を比較するために、両方の画像を取っておいたりするので、余計にハードディスクの容量を食います。
●デジカメにはプロのノウハウが入っている
実際、このデジカメで撮る写真の世界は、フィルムの写真とは違います。
フィルムの写真はその仕上がりまで、「写真家」と言う専門家の技術の塊でした。でも、デジカメはその技術の大部分を、ソフトウエアが勝手にやってしまいます。そのために「こんなきれいな写真が撮れるんだ!」と、自分自身でも感動したくなるような写真が、アマチュアでも簡単に撮れるようになっています。
たとえば、青い空をバックにした人物写真なども、まずその空の青い色が、実際の色よりもあざやかな青になって、写真が映えます。また、バックが明るすぎる、という場合は、「日中シンクロ」といって、影になるところにフラッシュを使うようにすると、背景も目の前の人物もきれいに撮れるようになるのですが、絞りやシャッタースピードをどうするか、などを、かなりきちんとしないとうまく撮れません。でも、今ではほとんどのデジカメが、そういうことをいとも簡単にやってしまいます。
●ブレ補正
最近の数機種のデジカメには「手振れ補正機構」がついています。つまり、比較的遅いシャッタースピードでも、ぶれのないシャープな写真が撮れます。夜の居酒屋での集合写真や、フラッシュが使えないくらい場所でも、この機能を持っているデジカメを使えば、シャープできれいな写真が撮れることになります。既に「露出(絞り)」「焦点(フォーカス)」は自動ですから、この手振れ補正があれば、もう怖いものはありません。
私が使っているカメラにもこの機構がありますが、特に片手で撮ることが多い場合や、三脚が使えない場面では、大変な威力を発揮します。
●写真を撮った後も
最初に書いたように、写真を撮ったあとも「レタッチ」ができます。暗くなってしまった写真を明るくする、という程度から、ちょっとしたピンボケくらいであれば、簡単に修復してしまう、などの高度なものもありますが、いずれもテクニックが必要ではなく、すべてソフトウエアで指示をすれば、「適当に」やってくれます。ソフトウエアの中にプロがいて、アシストしくれているようなものなのですから、うまくいくに決まっています。
●なにをどのように撮るか
ということは、今は誰でもきれいな写真が撮れる、という最低限の線は、既にデジカメの機能だけでクリアできる時代になった、ということです。そのため、プロとアマチュアの境界線があいまいになってきつつあります。特に雑誌の原稿に使う写真くらいであれば、プロのカメラマンを使うことは大変に少なくなっています。筆者がデジカメで撮ってしまって終わり、ということです。
アマチュアとプロの差は、写真1枚のことに焦点を当てれば、既に「なにを、どう撮るかを決めること」ということになってきました。「写真術」というレベルのものは、既にアマチュアも手に入れてしまったのです。
●新しい時代のアマチュア
私は、音楽にしろ、写真にしろ、こういった芸術表現の領域での、デジタル機器の進出によるアマチュアの台頭を「デジタル・アマチュア」と呼んでいます。つまり、デジタル技術に支えられて、はじめてプロと同じ程度のことができるようになったアマチュアのことです。既に写真家はカリスマではなくなり、芸術家は特別な人ではなくなっています。デジタル・アマチュアの時代は、デジカメで完成しつつある、というのが私の認識です。
●芸術表現は新たな時代に
デジタル・アマチュアの台頭は、プロフェショナルの存在の意味をも、かつてとは違うものとしてしまいます。つまり、デジタル・アマチュアに知識を与えるような存在として、プロがある、という感じでしょうか。作品のよしあしはあまり問題ではなく、いかにアマチュアに喜んでもらえる作品を撮るか、いかにデジタル・アマチュアに指導をするか、ということが、写真家の重要な仕事の1つになってしまいました。
新しい時代の芸術表現では、かつてのような「技術」は必要ではなく、「なにを撮るか」というテーマや、そのテーマの切実さなどのほうが重きを置かれるようになってきています。ある意味、表現という行為の本質に迫ってきたとも言えるでしょう。
あなたも、デジカメで自分自身の「芸術」を追及できます。かつてのように写真は、もう特別な趣味ではなく、また、どんな名人にも劣らない作品を作ることも、誰にとっても夢ではなくなりました。あとは、自分が切実に表現したいと思っていることがあるかどうか?それだけが大切な時代になりました。本当は、どんな技術よりも、それを見つけることが一番難しいのですけれど。
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