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第23回 デジカメの話
 

 

●絶好調のデジカメ

  デジカメ市場が絶好調です。ついこの前発表されたデジカメの国内での家庭への普及率は、なんと8割近く、という統計も出ました。
  今年の1月には、2003年のデジカメの国内出荷は4300万台を超えた、いうCIPA(カメラ映像機器工業会)の統計もありました。今後は伸び悩みも出てきて、国内出荷は減るものの、2004年は欧州での市場拡大が期待されている、とのことです。

●デジカメの裏側

  ところで、日本のデジカメはそれこそ多様な会社から出ていますが、その8割以上はOEM生産といって、表面に出てくるメーカー以外のメーカーが作っています。そして、その裏側でせっせとデジカメを作っているメーカーを「OEMメーカー」と言います。このOEMメーカーの世界最大手が三洋電機で、実に全世界のデジカメの8割以上の製造を、ほぼこの会社が独占しています。

●カメラという機器

  その昔、カメラという機器を持つことは1つのステータスでした。特に35mmフィルム用の一眼レフなどは、その精細な機構や複雑な動作などに、当時の「The State Fo The Art(人間の作り出した最高のもの、といういような意味)」を感じた人も多かったのです。もちろん、値段もそれ相応でした。

  1990年代になると、日本のカメラメーカーは今まで金属でできていたカメラの各部分をプラスチックに変更し、軽くて安い一眼レフを作りはじめました。これが、爆発的にヒットし、今に至っています。

  金属でできたカメラの筐体は、工作精度を容易に出すことができ、また製品の高級感を演出する重さも適当に持っていました。プラスチックは量産になると、大変にコストが安くなるのですが、伸び縮みが激しいため、工作精度を出すのが難しい、という欠点がありました。しかし、日本の技術者はこれに挑み、工作精度の非常に高いプラスチックを作ることに成功し、安価で高性能な一眼レフを私たちは使えるようになったのです。もっとも、そのぶん「カメラという機器のありがたみ」は薄れた、とも言えるわけですが。

●デジカメの登場

  デジカメの最初はカシオのQV-10です。1995年発売の製品ですから、来年はデジカメ誕生10周年、ということになります。
  この製品は最初「カメラ」ではなく「液晶ディスプレイ」を中心としたプロダクトとして開発された「映像メモ」という位置付けでした。当時、私も手に入れましたが、画像の荒さは今のデジカメと比べるべくもないものでした。たとえば、電車やバスの時刻表をカメラに撮っても、その文字が読めないほどでした。それこそ、新しいもの好きは買いましたけれど、それ以上のものではなかったように思います。CCDのサイズも当時のビデオカメラのものを流用したもので、画素数もVGAの半分というサイズ(320x240画素)でした。

  それから10年がたち、今ではカメラの市場はデジカメの独壇場となりつつあり、かつてのフィルムのカメラはどんどんその市場を減らしています。昨年はなんと国内では前年度比50%の出荷減、ということです。

●カメラがデジタルになる意味

  人間の歴史の中でデジタル技術が画期的である、というのは、P2Pの問題などでも見るとおり、すべての「情報」というものを「デジタル化」することによって、それらをシームレスに扱うことができるようになる、ということに尽きるでしょう。
  これをカメラの側から見れば、このまま行けば「カメラという機器」のカテゴリはやがてなくなっていき、それは情報機器というものの中の1つのカテゴリになる、ということです。 これを具体的に簡単に言えば、文章も静止画の映像も、動画の映像も、さらに音声も、すべてパソコンのファイルとして扱うことができるようになった、ということです。
  つまり、すべての情報が「デジタルの(コンピュータで扱える)ファイル」というカタチになることによって、情報の流通の促進がより図られていく、ということになります。だからこそ、インターネットや、P2Pというソフトウエアの存在が、短期的にはいろいろと問題を起こすことはあっても非常に歴史的に大きなものなのだ、ということがよくおわかりかと思います。そして、この大きな流れを作っているのは私たち自身です。

●デジタルの行く末

  情報機器が映像、音、などのカテゴリに分かれていたのは、簡単に言えばそれらの情報を統合して扱う技術が欠如していた時代のことです。今は違います。また変化も急激なので、短期的には著作権問題などの問題も起きるし、人間社会の相互のかかわりの中でのプレッシャーの応酬も、もちろんあることでしょう。

  しかし、大きな流れは定まったのであり、私たちはこの流れに逆らって時代を逆行することはできません。現在起きている著作権問題などは、まさにその代表と言えます。この問題を、旧来の舞台装置や道具立ての中でのみ考えていたら、私たちはやはり道を間違うことになると思います。変化は何にもあります。

  日本のカメラメーカー各社も、すでに「映像情報入力・出力機器産業」としての位置付けを、ある意味苦しみの中で、すでに終えています。おそらく、これについていけない、古い「カメラマニア」は、時代から取り残されていくことになると思います。いや、それがお金にかかわるようなことではない「趣味」であれば、それはそれで問題はないのですが。