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第21回 変化する秋葉原の風景
 

 

●秋葉原のいま

  東京周辺にお住まいで、仕事等で東京に良く出て来られる方はご存知と思いますが、現在、秋葉原という街が変わりつつあります。
  駅前の電気街側に巨大な2つのビルが建ち、そこには「秋葉原ITセンター(仮称)」という名前がついて、工事が進行中です。この4月20日、この場所に新しい名前がつきました「秋葉原クロスフィールド」という名前だそうです。ここには、数十階建てのビルができ、日立製作所や東大の施設なども入る、ということです。
  また、この施設と線路をはさんで東側には大手の家電量販店が大規模な店舗を構えるそうです。あの秋葉原が変わりつつあります。

●秋葉原という場所

  秋葉原の名前の由来はいくつか説があるようですが、基本的には「秋葉神社」という神社ができ、「秋葉神社のある原っぱ」なので「秋葉原」となった、と言う説明がよく聞かれます。

  ではなぜ「秋葉神社」という神社ができたのか?となると、Web上ではどこにもその由来を見つけることができません。しかし、日本の古語で「秋」=「アキ(ツ)」は、昆虫のトンボのことを意味しますので、広い湿地帯でトンボがたくさん飛んでいたので、この名前の神社になった可能性があります。

  神田川沿いで低湿地であったため、あまり人も住まず、大火のときに火を防ぐ役目もあり、江戸時代から大正時代までは誰も住んでいなかったさびしいところだったようです。

●秋葉原は物流の要衝

  近代になって、秋葉原はその地の利を生かし、物流の要衝となりました。現在の上記、秋葉原クロスフィールドのところは、東京都の神田青果市場ができました。また、その東側も(旧)国鉄の貨物駅でした。つまり、築地の市場から神田川の海上交通を使って大量の食料品を秋葉原に運び、ここから東京や全国各地に発送が行われた物流基地が秋葉原でした。

  また、万世橋を隔てて、現在の交通博物館のあるところは、現在の中央線と総武線、昔の「甲武鉄道」の始発駅でした。秋葉原には「日通」の本社ビルがありますが、ここに同社が本社を置いたのも、自然の成り行き、という感じがします(現在は本社は移転している)。
  交通博物館も、2007年にさいたま市に移転、とのことですが、あのれんが作りの文化財級の建物はどうなるのでしょうか?今でも、すぐ近くにあるレストラン、「肉の万世」の本店の上から見下ろすと、当時使っていたプラットホームの一部を見ることができます。

●なくなった駅

  地下鉄銀座線も秋葉原の下を通りますが、どういうわけか秋葉原は素通りし、神田駅の次は末広町になっています。実はこの間に、「万世橋駅」というなくなってしまった駅の遺構があります。国鉄の秋葉原駅ができたとき、不要の駅、ということで廃止になった、ということです。

●電気街はなぜできたか?

  戦後の混乱期、大正末期から続いた「物流の要衝」秋葉原は、全国から闇市をめがけていろいろな人たちが出入りする「交通の要衝」、つまりターミナルになりました。ここに多くの闇市が立ったのですが、その中には多くの米軍の電子部品のジャンクを売る店もありました。これらの店が秋葉原を電気街とした最初と言われています。
  あのレストランの「肉の万世」も元は電子部品を扱うお店が商売変えをして肉屋になり、それがレストランになった、という歴史があるそうです。

●これからの秋葉原は?

  さて、日本の高度成長とともに変化してきた秋葉原は、今後どうなるのでしょうか?あの大きなビル、家電量販店はこのアジア的なごった煮のような街を変えるのでしょうか?
  電気街・秋葉原の成り立ちの最初が戦後の闇市であるため、この土地には弱小零細の地権者が入り組んで多数存在しています。そのため、この土地をまとめるのは並大抵のことではない、といわれてきました。今回の巨大開発も、たまたま神田青果市場跡地とか、貨物駅跡地というまとまった土地があったからこそ、できたものです。
  つまり、開発が行われるのはどうもこの2つだけで、後はそのまま、という感じがしています。 秋葉原は家電の街からパソコンの街となりました。そのあいだに、秋葉原の名前は全世界の人が知るところとなりました。この知名度を生かして、今後もさらなる発展ができるかどうか。それはきっとあの巨大なビルだけに答えがあるものではない、というのは確実なところだと思います。

  秋葉原の今後がとても楽しみです。