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第20回 「知的財産」の誤解
 

 

●知的財産とは

  最近は大きな製造業の会社であれば「知的財産部」略して「知財部」という部署を必ず持っています。「知的財産」とは、形として残せない財産、すなわち「著作権」とか「特許権」のことです。この2つは本来、その法律の存在意義が違うものですが、どういうわけか、最近は同じようなもの、という認識がされています。

●著作権

  著作権はもともと、作家などの著作物で生計を立てている人たちの権利を守るものです。この人たちの仕事の結果は容易にコピーが可能であり、また、本人の許諾のもと、コピーされてはじめて著作者への利益が生まれるものです。もし、こういった著作に法律で権利を認めてそれを保護しなかったら、せっかく作ったものを、著作者が持つ以上の力を使ってコピーされ、使われてしまい、著作者に利益が帰ってきません。
  つまり、「著作者」という「弱者」を保護する法律なのです。

●特許権

  実は知財といった場合、いちばん誤解されているのがこの「特許権」でしょう。特許は、特許法によって定められていますが、その最初にはこうあります。

第1条 目的
この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発展に寄与することを目的とする。

  つまり、その目的はあくまで「産業の発展」です。そのため、特許法では特許をとった内容を「公開」します。公開して他の企業などの利用を促進したうえ、発明者の権利を保護することによって、発明者がその発明から得られるはずの利益が正当なものとして世に広く認められ、その権利によって発明者が一定の利益を得ることができるようにするものです。

●目的を理解しよう

  しかし、この両者とも、よく見ていただければわかるのですが、「著作者」や「発明者」が社会的弱者であった場合(たとえば、大企業に対する個人など)に対し、その人や会社の持つ権利を保護する、というのが目的になっています。つまり、「知財」に関する法律は弱者の砦、と言う性質もあるのです。

  そうは言っても、特許の場合は、その「目的」は「産業の発展」であり、「公開」が原則です。権利を守る、というのは「目的ではない」のです。つまり、その目的の達成のためには、こういった権利の保護がなければならないから、権利の保護がされているのです。
  「権利の保護」は主目的ではなく、「産業の発展」という主目的を達成するための「方法論」の1つに過ぎません。要するに、社会の「調整役」としての法律(ここでは著作権法、特許法)が、企業や個人の間に割って入ることによって、力関係だけで物事が決まらないようにし、社会全体としての発展を促す、というのがその意味するところです。

●企業の目的とは?

  多くの報道では、著作権などの知財の保護が問題になるような場合、この方法論である「権利の保護」のほうに重点が置かれて報道されることがほとんどです。
  実際、企業も「知財」が大事、という場合はこの「権利の保護」を中心にものを考えます。産業の発展と一企業の発展はほとんどの場合同じことではありません。一企業が異常に発展すると競争がなくなるからです。しかし、この、企業にとって競争がなくなったときの状態=「独占」は非常にうまみのあるものになります。別の言い方をすれば、弱肉強食の原理の権化である企業は、「知財に関する法律」にかかわる場合、「どうやってその法律の抜け穴を見つけ出すか?」ということに重点が置かれ、「自分の権利の保護」に重点が置かれる、ということです。

  もっと簡単に言えば、独占的企業にとっては「知財」に関する法律は「邪魔者」以外では、本来はありません。この大競争時代にあって、企業の目的は「産業の発展」ではなく「独占企業になること」ですから、産業をつぶそうが、国家をつぶそうが、自分だけが生き残る、という目的が達成できればよい、ということです。

●知財を守る法律はなくなる

  そうは言っても、国家の力が多国籍企業などの力に比べ、ほとんど無力と言われている現代では、法律以外にこの「猛獣」である企業を入れる檻がありません。
  国家がなぜこの猛獣よりも強いかと言えば、国家は最後には暴力=軍隊や警察を使うことができる存在だからです。また、多くの人たちがその存在を支持する、という面もあるので、国家は強力な暴力を行使できる、というわけです。

  企業と国家との緊張感というものがなくなってきた(すなわち、それらの癒着が当然のこととなってきた)今、実は「知的財産権」そのものが危機に陥っている、とも言えるでしょう。それはもともと「国家」という強大な力を背景にして、「もっとも弱いもの」を守るものだったのですから。