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第5回 Linuxから考える知的財産
 

 

◎Linuxの本当のすがた

コンピュータの専門家の間ではなくとも、最近はちょっとコンピュータに触ったこののある程度の「ユーザ」でも一度は「Linux」というOSのことを聞いたことがあると思います。よくIT系のニュースなどで聞く特徴としては、

(1)Linuxは無料である。
(2)Linuxはオープンソースといって、プログラムが公開されている。
(3)Windowsに似ている。

という項目が掲げられます。

◎無料ではない「Linuxパッケージ」

実際にはLinuxを店頭のパッケージで「買う」ということが多いと思うので、そういう意味ではLinuxは「無料」ではありません。

ではLinuxはどこが無料なのか?というと、要するにそのオペレーティングシステム(OS)の基本部分だけが無料にされているのです。この基本部分は非常に重要な基本的な機能を持った部分ですが人間との接点がない、クルマで言えばエンジンにあたる部分です。そして、ディストリビュータと呼ばれる「メーカー」が、これに、OS以外の「アクセサリ」であるさまざまなソフトウエアをおまけにつけて売っています。
そして、この価格はWindowsに比べて非常に安いものですが、Windowsと同じことができるように作ってあります。また、コピーも許可されていることが多いので、さらに安いものになります。

ではメーカーはなにでお金を取っているのかというと、このソフトを使うときの「サポート」の料金を「年間いくら」というかたちで取っています。
そういう意味ではコピーはもっとしてくれたほうがいい、というのがメーカーの言い分になります。

◎プログラムソースコード

OSでも、あるいは私たちが普段使う表計算やワープロなどのソフトウエアでも、実は「プログラムソースコード」、略して「ソースコード」という形式で、プログラムが記述されています。
このソースコードを「コンパイラ」というプログラムが「コンパイル」して、実際に動く形式のプログラム(=「バイナリ形式」と言います)にします。
つまり、私たちが使っている「表計算」などのプログラムはすべて「バイナリ形式」になったものを使っているわけです。

また、ソースコードからバイナリ形式への変換はコンパイラでできますが、その反対はできないようになっています。通常はソースコードはソフトエウアメーカーが自社で持っており、それを会社の外に出すことはほとんどありません。つまり、それは人間が記述できる形式=人間が読める形式、ということですから、そこに「企業秘密」「ノウハウ」が読めるかたちであるからです。

Linuxでは、この「ソースコード」も公開しています。なぜかと言うと、Linuxは世界中のボランティアがインターネットという道具を使って寄ってたかって作ったものだからです。

実はLinuxを作るために使われた「コンパイラ」という翻訳ソフトウエアも、同じようにオープンソースのものがあります。また、プログラムを記述する「エディタ」という、プログラム記述専用の「ワープロ」も、オープンソースのものがあります。

つまり、Linuxはある日突然できたものではなく、1990年代はじめから始まった、これらの「オープンソース」プログラム群を作る運動に共鳴するコンピュータの専門家たちが、寄り集まって積み重ねてきたものなのです。

◎底に流れる思想

実はコンピュータの専門家たちがインターネットという「道」を作ったのも、また、「オープンソース」という流れを作ったのも、「知識」は人類の共有財産であって、それを誰かが独占することは良くないことだ」という思想がその根底に流れています。
つまり、「知的所有権(たとえば特許)だけで、儲けるのは良くないことだ」という、思想が根底にあります。よく考えればわかりますが、なぜ特許などというものがあり、なぜそれに価値が生まれ、値段が付いてお金で取引がされるのか?というと、その「特許」が、なにかの生産に応用されることによって、その生産物の原価が下がって利益を増やすことができたり、生産されるものがなにか非常に価値のあるものになるからです。

これを逆から見れば、「なにも生産につながっていないのに=お金を産んでいないのに、特許だけ取引されるのはおかしい」ということも言えるわけです。
つまり、実際には価値があるかどうかわからないものに「値札」がついていることもあるかもしれないからです。しかも、その価値を判定する基準が誰にもわかりやすいものではありません。
これは非常に危険なことだ、という認識も生まれてこようと言うものです。「危険」とは、簡単に言えば、金融、土地であったような「バブル」の元になりそうなものだ、ということです。知的財産はそれらと性質が似ているのです。

◎現在の知的所有権の行方

実は、現在世界の名だたる製造業では「特許に頼らない」という戦略をはじめています。日本の大きな企業もその中に入っています。つまり「特に重要な技術内容やノウハウは特許として出さず、隠す」という戦略です。
このノウハウを持って行かれたら、我が社はなくなってしまう、というくらい重要なノウハウは紛れもなく「知的財産」ですが、その価値を認めることができるのは、通常は同業者とその企業自身しかありません。
その企業がそのノウハウによってものを作り、それを売って稼ぐわけですから、なにも特許などに頼る必要もないし、誰かに売るものでもない、ということです。

特許を取ると、特許の内容は公開される代わりに、そのノウハウはその企業以外使ってはいけない、というものが特許ですので、そのノウハウは公開されてしまいます。そして、公開されると、それを真似して誰かが製品を作ってしまう。それが他の国の企業だったら、1つの国の中では規制のしようがない。
だから、特許を取るのはやめよう、という判断があるわけです。 これを別の視点から言えば、多国籍企業は国を信用していない、というあたりまえのことになるわけですが。

◎ふたたびLinux

さて、そうなると、デジタルデータで簡単にやりとりされるソフトウエアなどは、特にソースコードの公開がされれば、特許の意味はなくなってしまいますが、その代わり、誰でもそのノウハウを手に入れることができます。そして実際の生産活動により多くの利益が生まれれば、特許などは必要ないでしょう、ということになります。
よく考えればわかりますが、ソフトウエアは結局それ自身では衣食住にかかわるものはなにも生産しません。衣食住にかかわる生産物を作る生産者に使われて初めて「価値」が生じるものですし、それ以上のものではない、ということです。

オープンソース運動やLinuxは、簡単に言えば「土地バブルや金融バブルと同じように知的所有権バブルで人類が苦しむのはもうたくさんだ」というところから生まれた、「反知的所有権」の運動でもあります。Linuxとは、つまり、そういうものなのです。ですから、Linuxの推進者の人たちは、「知的所有権」「知的財産」だけで収入を得る、という会社を目の敵にするわけです。

その会社はどこかって?私もよく知らないのですが、あなたの使っているLinuxではないOSを作っている会社が筆頭であることは間違いありません。(笑)。