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 昨年10月にソニーが発売した「ミュージックサーバー・VAIO MX」は確かによくできた製品だ。楽曲CDのリッピング、ネットの有料配信、FM放送のリアルタイム録音などで得たデジタルミュージックソースをいったん"貯めて"、後から様々なシチュエーションで聴くことができる。AV製品で培った音回りの技術も生かされている。

 けれども何か違う気がする。机の上に置いたパソコンがそこそこいい音で鳴るとする。それで落ち着いて音楽を聴いていられるだろうか?

 同じことは動画系のコンテンツについても言える。早晩、オンラインやDVDなどの動画をサイズの大きい高精細画像で楽しめるAVパソコンが市場に出てくるだろう。ただ、それで映画やライブビデオがゆったり観られるかと言うと、そうも思えない。

 結局、パソコンは頭の処理に絡む何かをするためのものであって、視聴のための環境ではないのではないかという気がする。言い換えれば、手でインプットした内容にCPU処理を絡ませてアウトプットを得るのがパソコン。ミュージシャンやビデオ制作者が表現としてアウトプットしたものを、半ば浴びるように観たり聴いたりするのは別 な機器。そう思えてならない。

 MP3などのファイルフォーマットでデジタル化した楽曲は普通 、携帯プレイヤーに入れるか、CDに焼いたりしてパソコン以外の環境で聴く。それもおそらくは、パソコンが"聴くための環境"ではないからだろう。そこには、ディスプレイおよびキーボードと自分自身の間の距離の問題が大いに関係しているように思える。

 コンピュータが「外在化された脳」だという言い方はその昔からよくなされている。インプットのための手は脳の外延部であり、アウトプットを得るディスプレイも脳の視覚野である。つまり、どちらも脳に帰属する。その脳の内部で映画がちらちらしたり、サウンドががんがん鳴ったりするのは、生理的に受け付けにくいことなのではないか?楽しむためにはある程度の距離が必要で、詰まるところ完璧に脳の"外"でないといけない。そんな気がする。